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Baobab -場面緘黙・自閉症スペクトラムの子育て-

スモールステップの日々のこと

場面緘黙の息子は究極の内向型人間

 内向的と言うと外向的な人に比べて暗いイメージを持たれやすいです。

実際「内向的」と検索すると「辛い」「仕事」「疲れた」とか、マイナスな言葉が一緒にあがっていて、中には生きづらさを感じている人もいるようです。

 

 でも、内向的だから悪い、外向的だと良いということは決してありません。

 

 なぜ内向的な人が悪いかのようなイメージを持たれがちかというと、

 

私たちは子どもの頃から

・外で元気いっぱいに遊ぶこと

・友だちがいっぱいいること

を良しとされてきたからです。

 

誰とでも仲良く遊んで、大きな声であいさつし、元気に体を動かすと、親や先生に褒められ、

そうでないと心配されたり、外で元気に遊んできなさいなどと言われたりする。

 

だから、初めての子育てで自分の子供がおとなしかったり積極的でなかったりすると、親は過度に心配してしまいます。

 

そして、人間の過半数は外向的な人であるのに対し、内向的な人間は4分の1程度しかおらず、

そのために

外向的な人が作る社会やシステム、規範は

多くを占める外向型の理想とするものになっていきます。

 

内向的とは

そもそも、 内向的か外向く的かというのは、興味や関心が自分の内側にあるか外側にあるかの違いです。内向的な人は、自分の考えや感情などにフォーカスが行きます。

多くの人と関わるよりは、狭く深くという関係を好み、物事に対しても深く考えていきます。大勢の中ではエネルギーを消耗してしまい、一人や少人数でいる方を好みます。

それゆえに、大人しい、消極的と思われたりします。

 

 以前聞いたことがあるのですが、

内向型・外向型というのは一つのつながった棒(みたいなもの)の両極にあるのだそうです。

つまり、ゴリゴリの内向型ではないけど、バリバリの外向型でもないという場合は、その棒の真ん中あたりという感じで、だれもがそのどこかに自分の型というかちょうどいい場所があるのだそうです。

 

 息子は、その棒で言うと

内向型端っこの方かと思います。

 

私自身、内向的だと自他ともに思っていますが

ぎりぎり端っこというよりは、もうちょっと内側に近いのかなって思います。

だから、息子のことがよーくわかるところもあるし、

でも時に

「どうしてそこまで緊張してしまう?そこまで心配しなくても大丈夫だよ・・」

「よくそんなことまで考えが及んで心配しているな」

とむしろ関心してしまうほどの時もあります。

 

内向型の子

内向タイプは、自分の内側にフォーカスが行くので、表に出さなくても多くのことを考えて、感じています。

親や周りの大人が思っている以上のことを知ってたりします。

内向型と外向型では、そもそも脳の機、能や使い方、脳内の伝達物質等の感受性がちがうので、内向な子にはその子にあった方法が必要です。

その子にあった方法という意味では内向・外向関係なくみんなそうなのですが。

世の多数を占める外向型人間が作った理想や指標、方法論、教育法は

内向型の子にからなずしも当てはまるとは限りません。

 

内向的な子に接する上で知っておきたいこと

内向的な子は外から見聞きした情報を処理するために、一人でかみ砕く時間が必要です。そのために静かな環境や時間を用意してあげるといいです。

そうやって自分の中でかみ砕いて消化して、そうすることで次の行動を起こせたり自分なりの意見をもてたりできます。

 また、外向的な人が外の世界で多くの人と会うことによって元気が出たり活力になりますが、内向的な人が同じことをするというのは、ただただエネルギーを消耗するだけになります。

 外の世界で人と刺激に触れたり、人とあったりすることはもちろん楽しいときもありますが、そのあとには家に帰って静かにゆったりする時間が必要です。

 外から帰ったあとに、あれやこれや、宿題やったのかなど急かすことはせず、

とにかくのんびり休憩時間をとってあげるといいです。宿題はそれからです。

 

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学校の中での内向的な子

場面緘黙である息子は、学校に行きたくないと言ったこともなく、

学力的にも普通学級で全然問題ないとのことですが、

希望を出して支援級の通級に通うことになりました。

究極の内向型人間であり、現在場面緘黙という状態になっている息子にとって

「普通」つまり 気質の棒の真ん中付近の多くの人たちが思っている以上に

学校では緊張状態が続き、エネルギーを消耗しまくっています。

学校のどこかにほっとできる場所ができるといいなあと思っていました。

 

また、

学校の先生というのは生徒や保護者と向かい合う仕事を選んできた方たちなので

気質の棒で言うと、真ん中~外向的の方たちが多いです。

 

大きな声であいあさつ

元気よく手を挙げて発表

休み時間は外で思いっきり体を動かす

たくさんのおともだちと仲良く過ごす

 

これらは私から見ても理想的な子どもの像です。

でも、息子にはできません。

できないというかそもそもそうしたいとも思ってないのだろうし

周りの子は難なくできて褒められることをするために

息子にはとてつもなく膨大なエネルギーが必要です。

 

ただ教室のいすで座っているだけで

とても緊張しエネルギーを消耗する息子にとっては、

教室、学校というのは

とても自分の能力を最大限に活かせる場所とは思えません。

 

とにかく好きなことを

 学校から帰ってきたら、おやつを何よりの楽しみにしている息子におやつを用意し、のんびりリラックスさせています。

 甘いものが好きなので、糖分の摂り過ぎや虫歯などの心配もありますが

今は、それ以上にリラックスして安心できる時間というのは大事だと思っています。

もちろん量を決めて食べ過ぎないようにしてます。

ゲームも大好きなので、時間を決めて毎日させています。

 ひととおり存分に楽しんだら、宿題を頑張ることができます。

宿題が終わると、あとは自分の内側からやりたいと思っていることをやり始めるので

とことん没頭させます。

 何かに集中してるときに話しかけてはいけません。

ちょっとぐらいお風呂の時間が遅くなっても本人が満足するまでやらせます。

満足したら、自らお風呂は?なんて言ってきます。

今はこんな感じで見守っている状態ですが、

いつか本当にこれだ!という好きなことを見つけて、

それが仕事につながったらいいなあなんて思っています。

 

場面緘黙のきょうだい児

きょうだい児

場面緘黙自閉症スペクトラムの息子の弟について、気になることや心配がありいろいろ調べていると、「きょうだい児」という言葉を知りました。

きょうだい児とは、障がいや病気をもった子のきょうだいのことをいいます。

親や周りは、障がいや病気のこどものことがどうしても優先になってしまい、そのきょうだいは我慢をしたり、気をかけてもらえなかったり、寂しい思いをしたり、きょうだい児特有の悩みがあります。

 学校や社会でいろんなことをいわれたり、結婚で問題になったり、

親が亡きあともきょうだいの面倒を背負うことになるなど、生きていくうえで何かと重荷を感じることがあります。

 場面緘黙にいたっては、もしかしたらそこまで大きな問題になることはないかもしれませんが、最近うちの弟は「きょうだい児」なんだなと思うような出来事がありましたので書きたいと思います。

 

質問攻めにあうきょうだい

 幼稚園児の弟は、習い事の関係で兄の同級生と話す機会があるのですが、

先日同級生にいろいろと言われました。

「お兄ちゃんはおうちでもしゃべらないの??」

「声を聞いたことある??」

しまいには弟にも

「あ、って言って!」

とも言われました。

 

言われた同級生には、以前にも私の方から

「おうちでは話すよ」

「恥ずかしがり屋さんなんだよ」

「あ、っていってとは言われたくないんだよ」などと説明してるのですが・・・

 

この時弟は、

あっていってといわれたら「あーー」って嬉しそうに言ったり、

おうちではしゃべらないの?には「なんでだよー」と返したりしてましたが、

時期にだんだん弟もわかってくると思います。

 弟が1年生になるときには、兄は5年生。

きょうだいなので同じ登校班になると思いますが、今の段階で

兄は班長や副班長としての責務をこなせるか・・・

 

場面緘黙,登校,きょうだい

 

家でのお兄ちゃんと学校でのお兄ちゃんが全然違う。

家では、大声で遊んで騒いで喧嘩するのに、外では表情も変えず一言も話さず

不思議に思うでしょう。

 そして今回のように、いろんな人から

「どうして話さないの?」

「家では話すの?」

質問を多く受けることになります。

 

 私が一番危惧することは、

「お兄ちゃんが学校で話さない」ということにフォーカスが当たってしまって、

「自分も話さない」となってしまわないかです。

 きょうだいや双子で場面緘黙症ということもめずらしくはないそうです。

 

 家では弟ができないことをお兄ちゃんが教えてあげて、兄としてのメンツもあったり、弟もどこか尊敬してる部分もあると思います。と同時に勝気な弟は、どこかお兄ちゃんに勝てると本気で思ってるようなところもあったり、本気でケンカして自分は悪くないと強情なところもあります。

 

 話さない兄、周りと違う兄に直面した時に、

「お兄ちゃんが、話さないのだから自分も話さない」となるのか、

「お兄ちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだ、でも僕は違う」と受け止められるのか。

 

 もしかしたら、それまでの接し方で「お兄ちゃんはすごいんだよ、お兄ちゃんをお手本にして、お兄ちゃんみたいに・・」なんて言葉を多用していたら前者に近い考えになってしまうのではないか。

 「お兄ちゃんは〇〇でいいね、弟は△△でいいね」、差をつけるのではなく違いを認め合えるような言葉がけが大事なんじゃないかと思うのです。

 

みんな違ってみんないい

兄も弟もそれぞれこういうところがあって、そこがそれぞれすばらしいね。

 

お互いに、得意なことは相手に教えてあげて、苦手なことは教えてもらおう。そしてお礼を言おう。

相手が困っていたら助けてあげよう。自分が困っているときに助けてもらえたらうれしいね。

 

場面緘黙症は気質要因が大きい

 私がここまで心配するのには、場面緘黙症は気質によるものが大きいと思うからです。もちろん、環境の変化や発達面など様々な要因があいまって発症するものですが、

気質は変えられません。

 そして、気質という点でいうと、弟も兄に似た部分があると感じるのです。

だからこそ、些細な変化もキャッチして、環境面で整えてあげたり、

とにかくのびのびと肯定的に接していきたいのです。