場面緘黙症になる兆候。と後悔。
最近、息子の赤ちゃんの頃からのベストショットを集めてフォトブックを作ろうと、
生まれてからの写真を順にすべて整理しました。
そこで気づいたことがあります。
私は、息子が小学校に入ったタイミングで環境になじめず場面緘黙になったのだと思っていたのですが、実はその前に兆候がありました。
幼稚園では、大人しいながらもそれなりにお友達ともかかわることができ、運動会のかけっこやお遊戯もいたって普通にできていました。
それが、小学校に入ってから気づけば場面緘黙症になってしまいました。
そこで写真をみて、いろいろよみがえってきた気になる兆候をまとめてみようと思います。
※息子はASDもあるのでその特性含みます。
場面緘黙の兆候 その1
家ではなく外で撮った写真で、お友達と撮ったものや集合写真などで笑っている写真が少ない。ちょっと嫌そうな顔もしていたりする。
場面緘黙の兆候 その2
幼稚園の年中になったとき。同じバス停の男の子と同じクラスになりました。それからは毎日のように「〇〇くん大好き」「〇〇くんと遊んだんだよ」と、その子の話を楽しそうにして、バス停でも嬉しそうに遊ぶようになりました。
それが、あるとき急にその子の話をしなくなり、そのことも全く話さなくなり、顔がこわばるようになりました。
理由を聞くと「△△ちゃんが連れて行っちゃうんだよ」とのこと。
どうやら、ほかの子もそのこと遊びたくて、そっちに行ってしまうことがよほどショックだったのだと思います。
今思えば、たとえそうだとしてもその落差というか、全く話さなくなったとかちょっと普通ではなかったかもと思います。
場面緘黙の兆候 その3
幼稚園の卒園式の時に、卒園証書をもらった後にそのまま壇上で「幼稚園で楽しかった思い出」を一言でいうのですが、その時に私は「ん!?」と思ったのです。
卒園証書をもらい、振り返り、みんなの前で「〇〇が楽しかったです。」という流れなのですが、息子は振り返ってからほかの子よりほんの少しだけ「間」がありました。
それは、ほかの人は気づかないような、気にもしないような「間」でした。
壇上で振り返り、大勢を見て、びっくりしてどきどきしながらも、その時はちゃんと言えたのですが、私は何とも言えないようなドキっとしたことを覚えています。
場面緘黙の兆候 その4
また幼稚園の卒園式の時ですが、すべてが終わって園庭でお友達と写真を撮ろうというときに、5人くらい子どもたちを並ばせたのですが、息子は一度並んだけど背を向けて逃げ出しました。
何度か連れてきて撮ろうとしたのですが、撮れませんでした。
その前に、担任の先生とハグをして別れの言葉をかけてもらったり、もしかしたら寂しい気持ちになっていたのかもしれません。もう幼稚園には来れない、何かが変わってしまうという漠然とした不安と寂しさが入り混じって混乱していたのかもしれません。
その後、
小学校の入学式。息子は硬い表情で集合写真に写っていますが、親が向けたカメラではリラックスした表情を見せています。
場面緘黙の兆候 その5 というか、後悔。
初めての登校班での通学。
息子の学校はマンモス校で、大人でも初めて行ったら自分の靴箱の場所なんてわかりません。同じ班の一緒に1年生になった子は、上にきょうだいがいたため靴箱を教えてもらったと思います。でも息子は・・・
あとで支援の先生から聞いた話ですが、「初めての登校のとき玄関で挙動不審でとても困っている子がいたから声をかけた、その時のこと覚えています。」と。
緘黙の相談に行った後なので、だいぶあとになって聞いたのですが先生が覚えているくらいなのでよほどパニックに近い状態だったかもしれません。
あの時、班長さんに
「1年〇組のこの子の靴箱の場所を教えてあげて」
と、もしお願いしていたら・・・
それとも過保護といわれようと、玄関までついて行って上履きを履くところまで見届けてあげられたら・・・
いや、もしその時サポートしていたら緘黙にならなかったわけでもなく
もともとの不安気質、環境変化、いろいろ合わさってのことだから
どうすることもできなかったのかもしれません。
でも、場面緘黙になりそうな気質や特性を持つ子には
サポートすることで少しは違っていたのではとも思います。
- 過保護と言われようと、初めての登校とか環境の変化があるときには親がサポートをする
- 過保護と思われようと、不安が強い子なので、中のいい数名を挙げて同じクラスにしてもらえないかダメもとでお願いしてみる
- 近所に仲のいい子を、子どもたちが小さいうちから作っておく
今思えば、親が先回りしてちょっと過保護になることで
息子の気を楽にできたのかもしれません。
それもこれも、場面緘黙になったから思うことで、
そうならないとなかなかできるようなことではないですけどね。
それにもしかしたら、そこで回避できても、
その後お友達関係、クラスでのこと、
親が立ち入れない先で何かのきっかけでってこともありますし。
医師に言われたことが思い出されます。
「緘黙の子は、大事に大事に丁寧に育ててください。」
我が家には、弟がいます。
元気いっぱいで、活発で、緘黙の長男とはよく正反対だねといわれますが、
実は気が小さいところがあります。
繊細なところもあります。
この子は大丈夫とは思わずに、
気持ちに寄り添って、
繊細な部分は、
時に過保護といわれようと、
親がサポートして行こうと思います。
本気で守れるのは親だけですから。
場面緘黙 支援級の通級へ
場面緘黙症・ASDの特性も持つ息子ですが、これまで特に支援級を勧められることはありませんでした。
でも本当にこのまま様子見てるだけでいいのかとか、
文章が全く書けないことも気がかりだし、
スポーツテストでも球が投げられない、走れない・・
これって支援が必要なんじゃないかなと思うようになりました。
ちなみに文章が全く書けない話はこちらに詳しくあります。
支援級への希望を出す
5月ごろ、支援級への希望ということで学校に相談に行きました。
すると、
・年度が代わりカリキュラムが組まれてしまっている
・すでに定員になっている
という理由もあり、
なにより支援級は激しい子もいるので逆に落ち着かないから普通級の方がいいのではないかという話でした。
でも、支援の先生は合間を見て大人しい子だけのクラスができるかもしれないから
調整できるように検討してみるとおっしゃってくださいました。
そしてなんと10月から週に一回通級クラスに通うことができました。
本人に聞いた感じや、先生からの連絡でも楽しく通っているようで安心しました。
支援級に通うまでのステップ
今でこそ楽しく通えていてよかったのですが、
私は手順を間違えていました。
実は、5月に支援級の希望を出した後
その話を病院の先生にしたら
ちょっとうーんというような間があって
「本人の気持ちを一番に考えてね」ということを言われ、
私は「はっ」としました。
そう 息子の気持ちをしっかり確かめずにつっぱしってしまってました・・。
後でゆっくり息子に話をすると
「はずかしいからいやだ」と。
何度か説明しても
「いやだ」と・・。
それからは、息子への声掛けとして支援級の先生の名前を出すようにしました。
「困ったときは〇〇先生(担任)か、△△先生(支援級)のところに行きな」
「〇〇先生(担任)と△△先生(支援級)は、あなたの味方だよ」
「△△先生(支援級)は、あなたの気持ちをとてもよくわかってくれてるよ」
「●●学級には、なっちゃんのような女の子もいるみたい」
10月から支援級に通えるという話は9月ごろお話があったのですが、
その時に、
息子ははずかしいのか、通級クラスに通うのを少し嫌がっているかもしれないという相談をしました。
そしたら。
先生:「この前●●学級のとこに息子くんがきていて、一緒にお勉強してみる?と聞いたんですよ」
私:「え?息子が自分から●●学級??」
先生:「はい、中をのぞきに来てましたよ。国語と算数どっちがいい?と聞いたら国語!って言いました。」
私:「え?自分から行ったり、国語とも言ったんですか?」
先生:笑顔でうなずく
以前の初めての病院の時のように、
息子はわかっていたのだと思います。
自分にとっていい場所だ、いい方向に向かうかもしれないということが。
息子はよく大人の話も聞いて理解して、
自分なりにも考えています。
自分にとっていい場所だ、いい方向に向かうかもしれない
と、息子自身が感じることができたのは以前にもありました。