場面緘黙のきょうだい児
きょうだい児
場面緘黙、自閉症スペクトラムの息子の弟について、気になることや心配がありいろいろ調べていると、「きょうだい児」という言葉を知りました。
きょうだい児とは、障がいや病気をもった子のきょうだいのことをいいます。
親や周りは、障がいや病気のこどものことがどうしても優先になってしまい、そのきょうだいは我慢をしたり、気をかけてもらえなかったり、寂しい思いをしたり、きょうだい児特有の悩みがあります。
学校や社会でいろんなことをいわれたり、結婚で問題になったり、
親が亡きあともきょうだいの面倒を背負うことになるなど、生きていくうえで何かと重荷を感じることがあります。
場面緘黙にいたっては、もしかしたらそこまで大きな問題になることはないかもしれませんが、最近うちの弟は「きょうだい児」なんだなと思うような出来事がありましたので書きたいと思います。
質問攻めにあうきょうだい
幼稚園児の弟は、習い事の関係で兄の同級生と話す機会があるのですが、
先日同級生にいろいろと言われました。
「お兄ちゃんはおうちでもしゃべらないの??」
「声を聞いたことある??」
しまいには弟にも
「あ、って言って!」
とも言われました。
言われた同級生には、以前にも私の方から
「おうちでは話すよ」
「恥ずかしがり屋さんなんだよ」
「あ、っていってとは言われたくないんだよ」などと説明してるのですが・・・
この時弟は、
あっていってといわれたら「あーー」って嬉しそうに言ったり、
おうちではしゃべらないの?には「なんでだよー」と返したりしてましたが、
時期にだんだん弟もわかってくると思います。
弟が1年生になるときには、兄は5年生。
きょうだいなので同じ登校班になると思いますが、今の段階で
家でのお兄ちゃんと学校でのお兄ちゃんが全然違う。
家では、大声で遊んで騒いで喧嘩するのに、外では表情も変えず一言も話さず
不思議に思うでしょう。
そして今回のように、いろんな人から
「どうして話さないの?」
「家では話すの?」
質問を多く受けることになります。
私が一番危惧することは、
「お兄ちゃんが学校で話さない」ということにフォーカスが当たってしまって、
「自分も話さない」となってしまわないかです。
きょうだいや双子で場面緘黙症ということもめずらしくはないそうです。
家では弟ができないことをお兄ちゃんが教えてあげて、兄としてのメンツもあったり、弟もどこか尊敬してる部分もあると思います。と同時に勝気な弟は、どこかお兄ちゃんに勝てると本気で思ってるようなところもあったり、本気でケンカして自分は悪くないと強情なところもあります。
話さない兄、周りと違う兄に直面した時に、
「お兄ちゃんが、話さないのだから自分も話さない」となるのか、
「お兄ちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだ、でも僕は違う」と受け止められるのか。
もしかしたら、それまでの接し方で「お兄ちゃんはすごいんだよ、お兄ちゃんをお手本にして、お兄ちゃんみたいに・・」なんて言葉を多用していたら前者に近い考えになってしまうのではないか。
「お兄ちゃんは〇〇でいいね、弟は△△でいいね」、差をつけるのではなく違いを認め合えるような言葉がけが大事なんじゃないかと思うのです。
みんな違ってみんないい
兄も弟もそれぞれこういうところがあって、そこがそれぞれすばらしいね。
お互いに、得意なことは相手に教えてあげて、苦手なことは教えてもらおう。そしてお礼を言おう。
相手が困っていたら助けてあげよう。自分が困っているときに助けてもらえたらうれしいね。
場面緘黙症は気質要因が大きい
私がここまで心配するのには、場面緘黙症は気質によるものが大きいと思うからです。もちろん、環境の変化や発達面など様々な要因があいまって発症するものですが、
気質は変えられません。
そして、気質という点でいうと、弟も兄に似た部分があると感じるのです。
だからこそ、些細な変化もキャッチして、環境面で整えてあげたり、
とにかくのびのびと肯定的に接していきたいのです。